「この人は本当はどうしたいんだろうか」

『認知症をつくっているのは誰なのか』SB新書。

「よりあい」代表:村瀬孝生さんに、介護ライター:東田勉さんが質問をしていくという形式で、『認知症を病気にしない暮らし』を学びます。

村瀬さんは、以前の記事で紹介したとおり、『「できる自分」と「できなくなる自分」を精神的にも肉体的にも行ったり来たりしながら老いていく』お年寄りと一緒に、ゆっくり階段を降りてゆく介護のありかたについて話しておられました。

『できる自分』(これまでの習慣)と、『できなくなる自分』(新しい習慣)への移行期を支えているのだと。

「今日どうする?」(トイレも食事も歩行も・・・)と常に本人に問いかけることからスタートするはずだと。

これまで自分でやっていたことを、人に手伝ってもらったり代わりにやってもらったり。

少し元気になって自分でやれたりもしたり、工夫して別の方法を見つけたりもして。

そういう新しい習慣への移行を、お年寄り自身が折り合いをつけていく過程を、親身につき合う。

 

それを、食事・排泄・入浴という三大介護のなかでやっていくのが介護なのです。

そのことを知らない介護職は、村瀬さんのいう『落ち着いてもらう症候群』に陥ってしまうのでしょう。

「落ち着いてもらうにはどうしたらよいか」という思考回路で介護している人がとても多いです。

その結果、本人の望みとは関係ない「傾聴」とか「洗濯物たたみ」とか「お遊び」とか、

あの手この手でよけいなお世話をして疲れ果てているのではないかと思います。

 

  『僕らにできるのは、混乱をなくす努力じゃなくて、混乱に付き合う努力です。

    本人は、受け入れがたい現実と折り合おうとしているんですから。』

今はソーシャルワークと介護とが分業になってしまっている、というところにも激しく共感しました。

「よりあい」のすごさの一つは、そこを区別をせずにやってしまっているところなのです。

『この人は本当はどうしたいんだろうか』という問いを、現場が問い続けることができる。

そして、実際にやってみることができる。

 

「それはケアプランに入ってない」「それはうちでは無理」。

で・・・? その先がないのが現状です。

本人を置き去りにして、いろんな“専門職”が自分の“領域”だけで“仕事”している気がしてなりません。

本人や家族への十分で丁寧な説明や情報提供がなされているのか疑問に思うことがしばしばです。

 

『この人は本当はどうしたいんだろうか』という問いを、現場に取り戻すことが必要なんだとわかりました。

この問いを、現場が自分で取り戻すために必要なことをやっていこう。