詩人・長田弘さんによる物語エッセイ『ねこに未来はない』は、イラストもステキな本です。
角川文庫の「カドフェスグランプリ2015」で、
「もう一度読みたい」部門第一位になりました。
ねこが好きではなかった『ぼく』が、『どういう星のめぐりあわせか』、ねこ好きの女性と結婚することになり、結婚して最初の朝の彼女の言葉が、『ねえ、わたしたち、なによりもまず、ねこを飼いましょうね』だったのでした。
『ねこぎらいのぼくとねこ好きのぼくの奥さんというわかいびんぼうな夫婦のあいだ』で、
うずくまり、あくびをし、歩きまわり、去っていくねこたち。
ねこぎらいだった『ぼく』が、ねこをねこっかわいがりするようになる喜びと、失ってしまう悲しみ。
『ねこだけは飼ってなければ何もわかっていないに同じなのだ。
むかし飼ったことがあるというのでもいけないし、飼いたいとおもっているだけでもだめなのだ。
現にいま、飼っているというのでないかぎり、だめだ。
それほど、ねこという動物は現在的な、あまりに現在的な動物なのだから。』
文庫本の楽しみは、解説を読めることにもありますね。
なだいなだ氏の解説には、「長田弘、おっかない人」とあり、「この本はこわい」ともありました。
詩人・長田弘さんの詩は、言葉は、確かに「おっかない」ほど深いのでした。
⇒ 参考までに。関心ある方はぜひ。 訃報を伝える記事
長くなりますが、解説文の一部を引用します。
『ぼくたちの時代のヒューマニズムとは、人間のエゴイズムのことなんだ。
猫を飼った人間なら、それはすぐにもわかること。
ぼくは、動物を愛する人々に向けられる「人間より猫が大事だと思っているんですか」という言葉に、
彼のおかげで、今なら答えられる。「ええ、そうです」と。
彼らは、人間の愛を忘れているんだ。
一匹の猫にさえ愛を向けられないような人間は、おそらく人間にだって愛を持てない。
ぼくは猫ぎらいのことをいっているんではないんだ。
人間ともあろうものが、猫と人間の価値を比較して、猫の方が人間より大事か、などと平然という。
その人間の威厳の喪失のことをいっているんだ。』
『人間を書いた小説が、妙につまらなくて、生きて行けなかった四匹の猫を書いたこの話が、
面白くて、底深い感動を呼び起こす現代とは、いったい、どんな時代なんだろう。
人間が、猫ほどの個性さえ持てなくなったということなんだろうか。
なにしろ、人間は、みな同じことをいうようになったんだ。
「医者にかかれずに死ぬのはおそろしい」という人間ばかりになって、
「医者と坊主の手にだけはかからんで死にたい」という人間はいなくなった。』
↓ ↓ ↓ 「世界ネコ歩き」以外は全くテレビに関心を示さないさっちゃんなのに、
この朝は、ミサイル発射を報じる臨時ニュース画面にくぎ付けとなった(+_+)
ミサイルを追い続け、テレビの裏まで必死で探していたのだった。
人間の物語にも、未来はないのだろうか。