「いつか死ぬ、それまで生きる」

詩人・伊藤比呂美さんの「父の生きる」。

何となく開くのがこわくて、

積読(つんどく)になってた一冊です。

昨日 ちょとした覚悟を決めて読みました。

確実に ごく近い将来 私の身に起きることを想像しながら。

カリフォルニアと熊本という とてつもない遠距離介護生活の日々の記録です。

私に必要だった「読むための覚悟」は 介護の大変さ というようなものではなく、

親の最期を 『引き受ける』 ことに向き合う覚悟でした。

 

ちょうど一年くらい前に 実家の父親の身に突然起きた『痛みで歩けない』という事態。

本人の混乱と現実否認と過度の不安と抑うつ・・・。

それまでの 私の知っている父ではない 取り乱したフツーの老人の姿。

その老人に追い打ちをかけるような 母親の言動に振り回される私。

   (母親の反応は予測ずみだったはずなのに・・・)

自分の親も 順当に 年相応に 老いて衰えて死んでいくのだと実感したエピソードでした。

現在 父親は ひとりで外出するくらいに復活しましたが、

   (それはそれで また母親の不満のタネになっています・・・)

老いて衰えて死んでいくということに直面した父親の無口さ加減は、

私が知っている『寡黙さ』とは違ってしまったような気がするのです。

父親の取り乱した姿を見てしまった私のほうが変わったのかもしれませんが。

 

母親は 若いころからいつも取り乱しているので、

死ぬまでつきあうしかないんだなあ・・・と思えるようにはなってきました。

父親についてはまだ腹の据わらない私にとって、

「父の生きる」はリアルで ずっしり重い。

でも 今 出会うことができてよかった。

 

 『 やがて死ぬ。それは知っている。でもやっぱり怖い。死ぬのは怖い。

  死はどんどん近づくが、どんなに近づいてもやっぱり遠い。

  その怖くて遠い道を一人で歩いていく。一歩一歩、重たい足を引きずりながら。

  そこにたどり着くまで、一日また一日を生き延びる。

  その孤独を、その恐怖を、娘に打ち明ける父であります。 』