実家の母が台所で転びました。
それも、3日の間に2度なのだとか。
父からの情報漏洩です(笑)
情報漏洩された母のご機嫌伺いに。
転び始めた3年前に比べたら身体機能は明らかに低下していますが、あの当時のような大ケガは最近ありません。
ゴソゴソ動くときに、「かなり用心しよるから」と本人。
それなのに転んだのが「情けない」とのことですが、転び始めたころは、衰えの自覚が追いつかないから勢いよく転んでいたのだと思われます。
2度の圧迫骨折で腰が曲がってしまい、痛みも伴って動作もゆっくり、転び方も上手くなったかもしれません。
「こけたらいかんけど、じっともしよれん」
(転んではいけないが、じっとしているわけにもいかない)
時間がかかろうが痛みがあろうが、自分でやらなければ気がすまない。
自分でできない家事動作は、父に指示してやらせる。
ふぅふぅと息が上がってしまっても、指示出しと詳細チェックのマシンガントークは止まらない。
訪問ヘルパーさんが掃除などの家事援助に入ってくれていますが、父いわく、「ヘルパーさんに、あれだけ細々いちいち指示している間は、誰もあなたの“痛み”には同情してくれんやろうな」と。
父にしか言えないことなので、笑ってしまいました。
これは私の実家の話で余談、失礼しました(笑)
本題は、「安心安全」についてです。
日中のデイサービスを利用したり施設に入所したりする理由のひとつに、「安心安全」があげられます。
これまで暮らしていた場では、「安心安全に過ごすことが難しくなった」ということがきっかけになる場合が多いです。
このとき、何をもって「安心安全」といっているのか、事業所側と本人・家族の認識は一致しているのでしょうか。
●バリアフリーだから安全
●プロが介助するから安全
●電子錠だから安全
●リハビリがあるから安心
●緊急コールボタンがあるから安心…などなど。
「家にいるよりいい」という曖昧な基準で、「安心安全」を託し託されて「安心」していませんか。
「見守りがあるのに転んだ?!」
「電子錠なのに出て行った?!」
「ボタンを押しても来てくれない!」
よくある不満や苦情の声です。
どんなに素晴らしい設備が整っていても、ひとたび動き出せば転ぶ可能性はゼロではありません。
どんな人にも意思と感情があり、人は「動く」ようにできています。
暮らしの中にあるリスクを、現実的合理的に捉え、双方の認識を一致させておく必要があります。
その上で、「できること・できないこと」「防げること・防げないこと」を明らかにして共有します。
介護のプロは、この面倒なことへの努力を怠りません。
「高齢なのだから転ぶのはしかたないだろう」と諦めたり開き直ったりすることもしません。
ある施設で事故防止活動に関する出前講座を行ったとき、こんな悩みを聞きました。
「ある利用者を転倒させないため、いつも目を光らせていないといけないし、いつも『じっとしていて』と言わないといけない」
ほんと大変です。
「私たちがやるのは、転倒させないことなのでしょうか?」と問いかけてみました。
皆さん、首を横に振りました。
「その人が、できるだけケガなく、この中を動き回れるようにする」にはどうしたらよいかについて悩みましょう。
●どんな時に動きたいか
●転倒する理由は何か
●動いて危険な場所はどこか
少なくともこれくらいは探ってみましょう。
「認知症だから」「筋力がないから」ですませていませんか?
「転倒させない」のが仕事なら、監視して制止して、目に見えないロープで車イスに縛りつけ、どちらも辛い。
大きく頷いている人が何人かおられました。
Good Luck!