「与えられるだけではだめ」

体調を崩したことを機に施設暮らしを選択した方が、実に半年ぶりに新聞購読を再開しました。

最近の嬉しいできごとの一つでした。

もちろん私は当初から新聞購読の継続を勧めていましたが、「新聞を読んで何になる?」と前向きに考えられない状態が続いていたのでした。

再開のきっかけは、「施設暮らしに期待してもだめ」という『諦め』のようでもあり、複雑な気持ちです。

しかし、「他人に依りかからず」という、本来のその方らしさを取り戻したとも言えるのです。

半年ぶりにとることになった新聞について、「テレビとは違う、新聞ならではのよさがある」「すごく新鮮な気持ち」と、表情よく話してくれました。

「与えられるばかりではだめ、と気づいたのよ。」

施設暮らしの『安心・安全』だけでは足りないよ、

主体的に生きたいよということなのだと思いました。

施設に置かれているものではなく、自分の読みたい新聞を自分のお金で買うことに意味があるのです。

体の不自由さは増しても、こころは自由なのだ。

←南天の下の花を植え替えていたら登場(^.^)