ネコが教えてくれたこと

ゆきちゃんが、死んだ。

「猫伝染性腹膜炎FIP」という、ウィルスによる免疫の病気を発症して3週間後だった。

治療法がないため、子ネコが発症した場合は致死率100%と言われている。

原因となるウィルスは元々持っていたのだろう。

けれど、家ネコになったのに発症させてしまった原因について、あれがよくなかったのか、これがダメだったのか、いろいろ責めて責めて、あれこれ考えた。

考えても仕方ないのだけれど。

 

写真は、昨年の12月6日のもの。

おふくの中に入れた、その当日。

私の肩に乗ろうとしているところを、わたくしの生涯で初の“自撮り”したものだ。

外にいるときから、ご飯をあげて少しずつなじんでいたので、家ネコにする覚悟を決めて部屋の中に入れた直後から、この調子だった。

 ⇒11月23日「おふく感謝祭」のとき

 ⇒12月28日 おふく暮らし3週間経過のとき

 読み返してみると、「黒ネコの次は白だ~♪」って、浮かれているのが恥ずかしいが、初めから、姉さんたち2匹を見つけた時の子ネコ特有の「衰弱のしかた」とは違う何か、を感じていたのがわかる。

脳の発作のような神経症状は、3日目以降はなかったのだけれど。何より、モリモリ食べて元気に遊んで、とても賢い子だったのだ。

 

 

右目のブルーが黄色くなり始めた時、「オッドアイか?」って、浮かれていた自分が恥ずかしい(+_+)

そのうちに、白く膜がはったように濁りはじめて、病院へ。

あとから思えばだが、FIPのウィルスによる目の炎症だったのかもしれない。

抗生剤で元のブルーアイにもどったが、そのために1か月もの間、無理やり押さえつけて強制投与してしまったのだ。

あれこれ考えても仕方ないのだけれど…。

家ネコにするために接種した混合ワクチンと、目のために薬を強制投与し続けたことが免疫系に及ぼした影響は、少なくともあるだろうと思う。

 

次の写真は2月5日のもの。

目の症状が治まり、2回目のワクチンを接種した数日後で、お腹の様子が何か変だと思い始めたときだ。

このお腹の膨らみは「食べ過ぎだよね?」と思えるほどモリモリ食べて活発に動いていたし、キャットタワーの頂上に上がれるようになってドヤ顔したりしていた。

 

 

 

姉さんネコたちが興味を示さなくなっていたオモチャで、一人遊びができるようになっていたころ。

姉さんネコたちの“夜の大運動会”に、見学参加できるようになっていたころ。

ゆきちゃんがいることで姉さんたちが来なくなっていた私のベッドに、また姉さんたちが戻ってきてくれて、4人でいっしょに寝るようになっていたころ。

(私は身動きできない状態だけれど)

 

この20日後に、逝ってしまった。

<FIPだろう>ということになったとき、無理やりに投薬したり、痛いことをしたりしない、と決めた。

ウィルスによるものなので、原則は「厳重隔離」だけれど、さまざまな観点から熟考し、3姉妹の意志と時間を大切にしようと決めた。

進行する病状に合わせて環境を整え、3姉妹が穏やかに仲良く過ごせるようにした。

 

ゆきちゃんの生きていくための意思表示と行動は、最期まで、ほんとうに見事に大したものだった。

 

 

ごまかしながら投薬できたのは2日くらいで、薬が混じったものや、これまでとは違う「配慮したような」特別な食べ物やサプリメントの類は、プイと顔をそむけて絶対に口にしなかった。

食べたいときは自分から要求し、変なものじゃないとチェックしたあと、自分で起き上がって食べた。

 

お腹が水風船のようになって、重すぎて自分の足で立ちあがることができなくなっても、亀さんのように手足を動かしてトイレに行った。

あまりに大変そうなので、見かねて私が抱きあげて、トイレから寝床に戻したことがあった。

そうしたら、寝床から這い出していき、ソッポを向いて抗議された。

「ごめんごめん」と謝って寝床をそばに持っていったら、「やれやれ」みたいな顔をして寝床に入ってくれた。

なるほど、本人はダメだけれど、寝床のほうを飛ばすのはオッケーなんだと学習。

 

それ以降、トイレの仕草をキャッチしたらトイレを寝床の隣に運んでいき、決して抱き上げたりせず、本人の動きに合わせてトイレの出入り時にお腹を支えるように介助した。

 

最期の数日間は下痢だったのだけれど、間に合わなかったのは最初の1回だけで、その後は、排便のときは必死の顔で起き上がり必死にトイレに向かうので、私も急いで介助に入り、下痢にもかかわらず最期までトイレで排泄した。

 

姉さんネコたちは、異変を察知してからは、とても静かに寄り添って過ごしてくれた。

 

逝く日の二日前からは、さっちゃんが一日中添い寝をしてくれていた。

お腹をつぶしそうなので引き離したりもしたけれど、また寝床に入って行って、顔をくっつけて寝ていた。

でも、いよいよ「今日が最期の日かな」と思ったら、さっちゃんは離れてしまい、まるで関心がないようなふうにして、ずっと一人で過ごしていた。

さっちゃんの代わりに、私が付きっ切りになった。

 

なっちゃんは、時々様子を見に行っては、頭や前足を優しくなめてあげていた。

最期の数日は、ふだんの「私をかまって~」の甘え行動をすることなく、ゆきちゃんのトイレの世話をしている私を、少し離れた所からじっと見ていた。

息をひきとったあとの体を整えている間も、少し離れた所からじっと見ていた。

 

 

最期の日の午前中は、スプーンを口元にもっていくと、自分で少しずつ食べたり飲んだりした。

夜になり、スプーンを見ても顔をそむけるようになった。

まったく何も口にしなくなったのが苦しそうに見えてしまい、ついつい、ほんの2滴くらいの水を注射器で口の中に入れてしまった。

そうしたら、ものすごく苦痛の表情になって、うめくような声が出て、呼吸が乱れた。

ああ、もう、ほんとうに何てことだ!

よけいなことをして悪かった、悪かった、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

腹水でパンパンになっても、一度も文句を言わず、自分の意思の力で行動していたのに。

大好きなオモチャで遊ぶことができなくなっても、食べて出して呼吸して意識を保つために、ひたすらエネルギーを蓄えていたのに。

何度も何度も謝った。

 

意思に反したことをされるのが、どんなに苦しいことなのか、乱れた呼吸が教えてくれた。

姉さんネコたちは、静かに寄り添って励ます方法を教えてくれた。

生後4ヵ月の小さなネコは、生の終わりの瞬間まで精いっぱいの呼吸をして、ふっと消えた。

たくさんの、ごめんねと、ありがとうを。

 

今度生まれてくるときは、絶対に、暖かい部屋で、お腹いっぱい食べて、いっぱい遊んで大きくなって、のんびり暮らせますように。