ナイチンゲール生誕200年♪

5月12日はナイチンゲールの生誕記念日でした。

今朝の新聞に「看護の礎 再び脚光」という記事が掲載されており、「いしずえ?再び脚光?」と思いつつ読みました。見出しの後の文章を引用します。

『近代看護の基礎を築いた英国の看護師フローレンス・ナイチンゲール(1820年~1910年)の生誕から200年。存命中に力を入れた医療現場でのデータ活用や衛生管理は、現在の感染症対策にも生かされている。データの扱いに政治が介入することも厳しく批判。世界規模で新型コロナウィルスが大流行する中、その功績が再び脚光を浴びている』

 

英国のジョンソン首相が新型コロナウィルスに感染して入院した聖トーマス病院は、ナイチンゲールが初めて看護学校を設立し、近代看護教育の礎となったところです。

ナイチンゲールといえば、クリミヤ戦争(1853年~1856年)に赴いて活躍した「白衣の天使」というイメージが強いかもしれませんが、1858年、英国の「王立統計協会」から女性初の会員と認められたことが記事の中で紹介されています。

 

『野戦病院で、死者や傷病者のデータを分析。戦闘で負った傷でなく、予防可能な疾病で多くが亡くなっていることを突き止め、衛生環境の改善により死亡率を劇的に低下させた』

 

『客観的であるべき医療データに政治的な意向が反映されることを非難。「招くべきでなかった死を、なかったことにして除外するのは都合がいい」と痛烈に皮肉った』

 

『新型コロナを巡り、英国では当初、政府発表の死者数に介護施設など病院以外で亡くなった人が含まれず、疑問の声が上がっていた』

 

 

新型コロナウィルス感染を巡るデータについては、日本でも様々な数字が示されます。

指標としての数字はわかりやすいし大切ですが、「データで示せ」という声が喧しい・・・。

実際の感染者数は10倍?20倍? というような話を巡って、「専門家」が議員に詰問されている様子もテレビで観ました。

誰が悪いとかダメとかいうことではなく、なんだか悲しくなりました。

いつ、だれが、どこで、どのように、どれくらい集積した結果なのか。

何をもとに分析し、どのように組み立てて予測した数字なのか。

そのデータは、誰が何のために、どう使うのか。

数字に意味を与える理念はどこに?

お互いの命と暮らしを守るために、賢く力を合わせていこうと思ったことでした。

 

横道にそれてしまいましたが、データを基に衛生環境の改善に取り組んで”死亡率”を低下させたこと、そして、「環境を整えること」を看護の重要な役割の一つにしたところがすごいのです。

 

記事の写真に添えた『看護覚え書~看護であること看護でないこと~』は、ナイチンゲールによって書かれた本で、今も看護の原点として必読です。

私自身も、学生時代から40数年、常に手元に置いています。

だいぶん黄ばんできてます(笑)

どのページを開いても、いつもハッとさせられたり、大いにうなずいたり、とても気持ちがスッキリします。

第1章は、こんな文章で始まります。

 

『看護であるかどうかを見分ける基準のまさに第1のもの、看護婦が注意を注がなければならない最初で最後のこと、患者にとって欠くべからざる第1のもの、それを満たさなかったら、あなたが患者のためにした他のことすべてが無に帰してしまうようなこと、それを満たせば他のことはそのままにしていてもいいとさえいいたいほどのこと、それは、患者が呼吸する空気を、患者を寒がらせないで、外気と同じように清浄に保つことなのである。にもかかわらず、いったいこれほど注意されていないことがほかにあるであろうか?』

 

そして、窓を開けるにしても、暖房するにしても、リネン交換や排せつ物や消毒剤なども含めて、病室の患者がどんな空気を呼吸しているかについて、詳細に明快に述べられていきます。

 

この章の最後は、空気を清浄にするために消毒薬に決して頼らないようにしようと述べた上で、『私は、発明された消毒薬のすべてはなんらかの「不快なにおい」をもっていて、使ったならば必ず窓を開けざるをえないようであればいいと思う。それは役に立つ発明品であるといえよう』という、面白い文章で締められています。

 

 

今日、本を手にして、たまたま開いてみたところには、患者に対して「よく眠れましたか?」とか「食欲はいかがですか?」とかの質問をする人は、『不正確な情報を集める独特の才能をもっている』と書いてあり、笑ってしまいました。

 

こういう人います、看護でも介護でも。

会話のとっかかりとして言っているだけなのかしら・・・?と疑いたくなることもあります。

なにも不調がない人になら、会話のとっかかりでいいかもしれません。

しかし、なんらかの心身の不調があることを前提に関わっているのが私たちなのです。

 

一度も目を覚まさず8時間睡眠できて「よく眠れた」と言う人と、時々目は覚めたけれど「眠れなかった」とは言わない人が、この質問によって同じ扱いを受けていることに気づかなければなりません。

「よく眠れましたか?」と質問することは、患者の状態を観察して分析して課題をみつけて対策を考える基になる情報を不正確にしてしまうということです。

 

私は入院患者になったことがあるので、すごくよくわかります。

検温に来た看護師に「よく眠れましたか」と聞かれたとき、「ぜんぜん眠れてないわけではないが、よく眠れたとは思えない、心配事はたくさんあるし、一日ベッドでじっとしていなくちゃいけないんだし」と心の中でつぶやいて、「はい、まあまあ」と言っていました。

「眠れなくてつらい」と患者が言わなければ、この看護師としては”大丈夫”なんだなと思っていました。

 

 

 

今日、ちらちらと読み返してみて、ほんとに面白い本だと改めて思いました。

Stay Home の読書リストに追加。

最初から読み直します!