慣れるって怖い

久しぶりに、くっついて仲良く寝ている写真が撮れました。

寒くなってきたからかもしれませんね。

 

最近、「慣れるって怖いことだなあ」と、しみじみ思ったことがあったので書きます。

 

研修講師を仕事を始めたころ、人から「センセイ」と呼ばれることに抵抗感を抱いていました。

特に、自分よりも年長の方や、自分よりも介護看護経験の長い専門職の方から言われたとき。

 

 

自分の自信のなさであり、劣等意識でありました。

あるいは、講師としての評価を気にしてのことだったと思います。

 

「わたし自身のことを言っているのではなく、立場・役割のことなんだから」

「相手からみれば、教える人、指導する人ということになるんだから」

「人の前に立つのだから、それにふさわしい人間になるよう精進するしかない」

 

などなど言い聞かせて、「センセイ」と言われてもドギマギしないようにしていきました。

 

 

そのうちに、「センセイ」と呼ばれることを意識しなくなってきました。

「講師」の役割でいるのだから、当たり前だと思えるようになってきました。

 

 

いつのまにか、自分にとっては関心のないことになっていました。

 

 

そうしたら・・・です。

 

外部講師として行った施設で、さん付けで呼ばれるということがありました。

最初は、なんか違和感を覚えているくらいでした。

講師紹介のときにも「さん付け」で呼ばれて、はっきり自覚しました。

 

この施設に来てから、「センセイ」と呼ばれていませんでした。

そのことについて、ずっと違和感を持っていた自分に気がつきました。

 

外部講師に「さん付け」? という心の声があったんですね。

 

しかも・・・私の子どもくらいの年齢の職員から言われているわけで(笑)

 

 

これが違和感の正体だった、って気づいたことに動揺しておりました。

 

 

ああ、慣れるということは怖ろしいことです!

つい数年前には、「センセイ」と呼ばれて動揺していたのに。

 

役割や立場を自覚して、ちゃんと仕事をして、責任を果たしていくこと。

そのことと、「センセイ」はイコールではないはずでした。

慣れっこになってしまって、「センセイ」と呼ばれないことに違和感を覚えるなんて、けしからんことです。

 

思い出させてくれた若い職員さんに感謝です。

気を引き締めて、<初心忘るべからず>と言い聞かせた一日でした。

 

 

 

ただし、これは私自身への戒めという意味で。

 

外部からの訪問者に対する接遇という点では、辛口評価せずにはいられません。

(別に講師がエライからではなく)

一般常識的なマナーという点で。

訪問者の出迎え方、誘導の仕方、お茶の出し方ひとつ。

ふだんの利用者への接遇に疑念をもたざるを得ませんでした。

 

研修ということでいうと、会場や時間の設定のしかたがあります。

ハード面ではありません。

今ある物と場所と人的環境で、参加する職員の身になって最善の準備をしているかどうかです。

 

外部研修への対応を通して、人材育成に向ける事業所の価値観を見ることができます。

事業所の職員への思いを推し量ることができます。

 

そこからは、利用者への思いの質も透けて見えます。

 

こういうことについて、無自覚なリーダーが少なくないことも、実は怖ろしいことだと思います。