憎まれ口

昨日の「折々のことば」は、介護の話でした。

『風呂に入って死んだやつはおるけど、

 風呂に入らんで死んだやつはおらん』

入浴をしたがらないお年寄りにどうやって入ってもらうか、どこでも難儀していることのひとつです。

こういう苦労を、『笑ってこぼせる人がそばに一人でもいれば、こんな売りことばに買いことばも、とくと楽しめる』 と鷲田清一氏は言います。

朝日新聞「折々のことば」8月3日より

 ←にゃに? ・・・思いっきり 開いていますよ。

あるターミナルケア研修を受けたとき、

「ある日突然に終末期ケアが始まるわけではない、高齢者に出会ったときからターミナルケアをしているとも言える」 という講師の言葉にうなずきました。

お年寄りの『憎まれ口』を楽しめるかどうかは、

言われた人の資質もかかわるだろうけれど、

多分に「場」の持つチカラによると思います。

「入浴介助」を業務にするか、その人らしく生ききるためのケアにするか、どんな「場」にするかが大事。

 ←いやん、撮らにゃいで!