「あえて聴かないこと」

いただきものの和菓子を持って実家へ。

老いてゆく心身と折り合いをつけられない母親の、聞き苦しい憤懣と愚痴を「きく」には、

私自身への口実(いただきもの)が必要なのです。

ある時期、「傾聴」しようと四苦八苦しましたが、

だいぶん『あえて聴かない』というスキルが使えるようになってきました。

 ←昨日 フウセンカズラの発芽 第1号!

   よかった~。ほっとしました。

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 ← ん? にゃに?


「いただきもの」を口実にする理由は二つです。

①何かを買ったり手作りしたりして持っていくと、

 「なんでそんなことをするん?」と責める。

   ・・・子にしてもらうのはみっともないこと

②家事が大変だと愚痴を言い、協働しない夫(父)への不満を並べつつ、私の手伝いは拒絶。

   ・・・しかし根強い見捨てられ不安あり

なかなか手のかかる人です。


『あえて聴かない』というのは、「大事なものは見えにくい」(鷲田清一著)角川文庫 に出てくる言葉です。


カウンセラーやセラピストや傾聴ボランティアなどの「聴くことの専門家」とは別のプロ、

カウンターの向こうにいるママやバーテンダーの「聴く」について。


  『聴かなかったことにする、はぐらかす、からかう、とりあわない、つれなくするというようなかたちで、

   逆にちゃんと聴くという不思議なわざをもっている。

    ・・・なぜ、こんな意地悪な対応が、結果として、客の心をほぐすことになるのだろう。』


  『とりあわないふりをしながらも、客のぐだぐだに最後までつきあってくれるからだろう。』


  『(わたしの)時間をあげる、このことが聴いてあげるということの本質としてあって、

   相手の口上を認めるだけが適切な対応ではないということなのだろう。』


実家の母の話を傾聴する(相手の口上を認める)のは難行苦行なのですが、

見捨てられ不安を慰めるために時間を提供しているのだと思えばよいのです。


この本の「あえて聴かないこと」の中で触れられている、

昭和のコメディアンで元ボクサー:たこ八郎さんの言葉「めいわくかけてありがとう」。

朝日新聞に連載中の「折々のことば」の第2回にもとりあげられています。


  『迷惑かけずに生きられる人なんていない。だからこれはだれが口にしてもおかしくない。』

                                   (折々のことば 2015年4月2日より)